ブログという終わったコンテンツを書くことについて

パソコンに向かう中年男性 雑記

ブログはもう所謂オワコンで、そのオワコン媒体でオワコンブログを続ける意味というのはもう自己満足しかない。

一応アドセンス広告は貼ってあるものの2年に1度ぐらいしか報酬も発生しないので営利で続ける意味は無いし、承認欲求の小さい俺はたくさんの人にブログを見てもらいたいとかも考えていない。

俺がブログを続ける目的は俺が書きたいからと日本に1人ぐらいはいると考えている俺にそっくりな境遇の人に向けて書いている。

つまりこのブログは俺と俺そっくりの奴の2人のためのブログなのだ。

俺は俺の考えをまとめたり資産や家計簿を記録したりするためにブログをやり、それが日本に一人はいるだろう同年代で経歴グダグダだけど諦めていない俺みたいな奴に参考になったり、ヤル気になってもらえたりしたらいいななんて考えている。

しかし、こういう目的でしっかり記事を書けているかというとそんなことはない。

承認欲求は無いとか営利目的ではないとか言いながら、不特定多数に見て欲しいようなコンテンツになっていると思う。

もっと俺と俺そっくりの奴にとって有益なブログにするためには、人目を気にするようなブログを書いていてはだめだと思う。

だが書いて良いことと悪いことはあるし、あまり身の回りのことを馬鹿正直にコンテンツにしていてもプライバシーの問題もある。

そう考えると書きたいな書こうかなと思うことはたくさんあるのに、ブログを書く手が止まってしまう。

どこかでとりあえず記事を勢いのまま書いて、ちょっと寝かして一般公開して良いか考えるという方法も考えたが、そんな面倒くさいことをするぐらいならブログなんてやりたくない。

そして結果的に今のままつまらないブログ記事を積み上げていくことになる可能性は高い。

よりよりブログを目指して

ブログという媒体は終わっていると書いたが以前も書いたように、自分の考えをまとめて保存しておくという点では優れている。

ノートに考えを書いても誰にも見られないので、「クソ野郎死ね!」「女が欲しい!」とか支離滅裂な感情のほとばしりだけになることが多くあとで振り返ることが出来ない。

その点ブログでは第三者が見る前提で書くので、あとで振り返ることができるように書くことになり振り返りできるので便利だ。

自分の考えを記録して何になるのかというと、単純に読み直した時に懐かしい気持ちになって嬉しいし、記録として残すことで後で客観的に振り返ることもできる。

記録するってなかなか面白くて、家計簿を振り返るとノンアルを突然買わなくなったことがわかり、そのタイミングでストレスの原因を排除できたことを思い出した。

俺はストレスでノンアルを飲んでいる意識とかはなかったのだけど、こういうのが記録をすることで見えてきて面白い。

そういう面白いブログを目指して、記事を今より多く、事実も多く書いていき、記録的な価値を高めていきたいと思う。

……やっぱりどこかで匿名でブログを書こうかな……。

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